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無駄に長文。
夜は短し歩けよ乙女をちょっと読んだ。
職場の近くにはご飯を食べる場所がない。
弁当を作るにはいささか朝の優雅な私の時間を失うことに忍びない。「あと五分」と目覚ましを止めること五回。
しかし、弁当を作ってくれる人が私にいないこともない。むろん母である。
しかし、母に弁当作りを頼むのはいささか母の朝の優雅な時間を奪うようで忍びない。私が五度寝している間のことを知る由もないが。
さてそんな私の昼食は常にカップラーメンである。
カップラーメンにもピンキリがある。
高いものでは300円を超えるものものあり、それを食すときには大変贅沢な気持ちになる。
しかし、私のサイフはそう紐を解いてはくれない。解いたところで悲しい現実を目の当たりにするだけであるが。
そんな私のサイフに優しいカップラーメンも存在する。59円のカップラーメンである。
このカップラーメン値段もさることながら味もさることである。
これを食べるときにいつも思うのが、「ブタメン」のほうがマシ、ということである。
ブタメンといえば小学生の折、皆が頭を寄せ合ってすすりあっていたのを思い出す。
あるものはお湯を少ししかいれず「濃い味が好きやねん」といい。
またあるものは「かためが好きやねん」といってお湯を注いですぐに食べていた。
小学生ながらそれぞれが「通」を気取っていたのである。
そんな中ある噂が流れ始めた。
「君はご存知だろうか。ブタメンの神の噂を。ブタメンのカップの中にはひとつにつき一人の神がおられる。なんでもその神の姿を見たものはなんでも願いをかなえてもらえるという。その神は麺をすべて平らげる御仁を心待ちにしているそうな。しかし、その神はあろうことか熱に弱いのである。そのため熱湯を注がれるとたちまちにしてあらたなカップへと身を躍らせ潜ませるという。すなわちその神を見たければ熱湯を注がずにブタメンを食べきるほかないのである。」
この噂が流れると純真無垢な少年少女たちは皆駄菓子屋が備え付けてくれた親切な電子ポットに目もくれずにそのままの状態でかぶりつき始めた。「味濃っ!!」という断末魔の叫びがそこら中にこだまする。たちまちにして意思弱気ものたちはブタメンにお湯を注ぎはじめる。
しかし、周りで自らの崇高な願いと引き換えに美味を手に入れ「ウマっ!!麺硬かろうが柔らかろうがもうどっちでもええわ」という歓喜に震える中で信仰心深きものたちは「味を変えたらいける」といって学校の水道水を注ぎ始めた。
しかし、その道は険しく「マズッ」といい、もうすでにお湯を注ぐこともできず、願いと美味の両方を失い、ただ途方にくれるものたちで溢れかえった。
ただその険しい道を懲りずに進み続ける英雄もやはりまだ存在していた。我々は彼ら彼らに尋ねた。「なぜそうまでしてブタメンを食べるのか。」彼らはこう答えた。「そこにブタメンがあるからだ。」と。
そういって進み続けるも彼らにも限界が訪れ始めた。しかし、英雄たちは再びこういった。「味を変えたらいける!!」
そういって駄菓子屋へ駆け込み、いろいろなお菓子を買いブタメンへと突っ込み始める。あるものは「よっちゃんいか」を。またあるものは「キャベツ太郎」を。そしてまたあるものは「味が濃くなるはず」と「チキンラーメン」を。さらにはチョコレートを突っ込む猛者まで。もうすでに意識は朦朧としている。
そうして味を変えたが、まず脱落したのは言わずもがなチョコレートたちである。「こんなマズイの食ったことない」といって他の人にまで食べさせようとしはじめる有様だ。次にチキンラーメンを突っ込んだものたち。「量増えただけやん、もういやや」といってグラウンドに寝そべり始めた。
そして最終的に食べきったのは「よっちゃんいか」入れたものたちである。あの塩味がアクセントとなったのかもしれない。
我々は彼らを「ブタメニスト」と呼んだ。
そして「ブタメニスト」は叫ぶ。
「神なんかでてこーへんやん!!」
「ブタメニスト」の目には死屍累々のグラウンドの上に広がる真っ赤な美しい空が映っていた。
昼飯にブタメン食べながらの妄想。
夜は短し歩けよ乙女をちょっと読んだ。
職場の近くにはご飯を食べる場所がない。
弁当を作るにはいささか朝の優雅な私の時間を失うことに忍びない。「あと五分」と目覚ましを止めること五回。
しかし、弁当を作ってくれる人が私にいないこともない。むろん母である。
しかし、母に弁当作りを頼むのはいささか母の朝の優雅な時間を奪うようで忍びない。私が五度寝している間のことを知る由もないが。
さてそんな私の昼食は常にカップラーメンである。
カップラーメンにもピンキリがある。
高いものでは300円を超えるものものあり、それを食すときには大変贅沢な気持ちになる。
しかし、私のサイフはそう紐を解いてはくれない。解いたところで悲しい現実を目の当たりにするだけであるが。
そんな私のサイフに優しいカップラーメンも存在する。59円のカップラーメンである。
このカップラーメン値段もさることながら味もさることである。
これを食べるときにいつも思うのが、「ブタメン」のほうがマシ、ということである。
ブタメンといえば小学生の折、皆が頭を寄せ合ってすすりあっていたのを思い出す。
あるものはお湯を少ししかいれず「濃い味が好きやねん」といい。
またあるものは「かためが好きやねん」といってお湯を注いですぐに食べていた。
小学生ながらそれぞれが「通」を気取っていたのである。
そんな中ある噂が流れ始めた。
「君はご存知だろうか。ブタメンの神の噂を。ブタメンのカップの中にはひとつにつき一人の神がおられる。なんでもその神の姿を見たものはなんでも願いをかなえてもらえるという。その神は麺をすべて平らげる御仁を心待ちにしているそうな。しかし、その神はあろうことか熱に弱いのである。そのため熱湯を注がれるとたちまちにしてあらたなカップへと身を躍らせ潜ませるという。すなわちその神を見たければ熱湯を注がずにブタメンを食べきるほかないのである。」
この噂が流れると純真無垢な少年少女たちは皆駄菓子屋が備え付けてくれた親切な電子ポットに目もくれずにそのままの状態でかぶりつき始めた。「味濃っ!!」という断末魔の叫びがそこら中にこだまする。たちまちにして意思弱気ものたちはブタメンにお湯を注ぎはじめる。
しかし、周りで自らの崇高な願いと引き換えに美味を手に入れ「ウマっ!!麺硬かろうが柔らかろうがもうどっちでもええわ」という歓喜に震える中で信仰心深きものたちは「味を変えたらいける」といって学校の水道水を注ぎ始めた。
しかし、その道は険しく「マズッ」といい、もうすでにお湯を注ぐこともできず、願いと美味の両方を失い、ただ途方にくれるものたちで溢れかえった。
ただその険しい道を懲りずに進み続ける英雄もやはりまだ存在していた。我々は彼ら彼らに尋ねた。「なぜそうまでしてブタメンを食べるのか。」彼らはこう答えた。「そこにブタメンがあるからだ。」と。
そういって進み続けるも彼らにも限界が訪れ始めた。しかし、英雄たちは再びこういった。「味を変えたらいける!!」
そういって駄菓子屋へ駆け込み、いろいろなお菓子を買いブタメンへと突っ込み始める。あるものは「よっちゃんいか」を。またあるものは「キャベツ太郎」を。そしてまたあるものは「味が濃くなるはず」と「チキンラーメン」を。さらにはチョコレートを突っ込む猛者まで。もうすでに意識は朦朧としている。
そうして味を変えたが、まず脱落したのは言わずもがなチョコレートたちである。「こんなマズイの食ったことない」といって他の人にまで食べさせようとしはじめる有様だ。次にチキンラーメンを突っ込んだものたち。「量増えただけやん、もういやや」といってグラウンドに寝そべり始めた。
そして最終的に食べきったのは「よっちゃんいか」入れたものたちである。あの塩味がアクセントとなったのかもしれない。
我々は彼らを「ブタメニスト」と呼んだ。
そして「ブタメニスト」は叫ぶ。
「神なんかでてこーへんやん!!」
「ブタメニスト」の目には死屍累々のグラウンドの上に広がる真っ赤な美しい空が映っていた。
昼飯にブタメン食べながらの妄想。
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無題
森見さんの文章俺も昔影響されて真似してたわ笑
無題
文才あるんじゃないか?